生活人として

兄のY市での生活が始まった。親きょうだいが住んでいるとはいえ、「よう、帰ってきた!」などという、歓迎ムードはなく、どう関わっていいかわからず、少し距離を置くような空気であった。しかし、一緒に住む姉や事態を一部始終見ている私は、そうはいっていられない。

人がひとり増えるということは、モノが必要になる。知り合いに声をかけ、紳士モノのLLサイズの衣類をもらったり、自分の家で兄に着れそうな古着はないか探すなど、なるべく買わずに済ませることを心がけた。古着の提供ならと母もいらない服を探してくれた。

姉は兄を甘やかすことなく、徹底的に家事を教えようとした。いずれ一人暮らしをしたときに役立つよう、ご飯の炊き方や具だくさんの豚汁、野菜炒めなど、最低限のメニューを教え、自分で作るように横について教えた。そして掃除や洗濯も手抜かりなく叩き込んだという。姉は時々私の家に来ては「ほんま、見ててイライラする。子どもに教えるより、よっぽどしんどい」などと言いながら、ガス抜きをした。

兄は今まで一人暮らしをしてきたが、自炊などしたことがないし、部屋も散らかし放題で、おおよそ生活人として自立できていなかった。お金に余裕があれば外食だけの生活でもいいのだろうが、兄の場合はそんな余裕はどこにもない。それどころか、野放図な生活によって経済的破綻をきたし、ついにはホームレスになってしまったという苦い経験がある。

同じ轍を踏まない―姉は無駄なお金を使わず、堅実な生活をするよう、ことあるごとに兄に厳しく言い聞かせた。
「あんたはまた、空き缶拾いをしたいのか」
「家を失って、外で寝たいのか」
「今、立ち直るチャンスを逃したら、もう助けない」

兄は人材派遣で見つけた倉庫関連の仕事と家事をする毎日だった。といっても、仕事は毎日びっしり詰まっているのではなく、緩やかなローテーションのため、割合休みもある。姉も仕事をしているので、家でひとり留守番という日もある。
やがて兄が一人暮らしを始めたとき、親しい友人知人もおらず、仕事と家の往復という生活をするようでは、楽しみはないだろうと私は想像した。

独身で特段趣味も持たない中高年オトコこそ、社会との接点が乏しく、あらゆるコミュニケーションの輪からおこぼれ落ちやすい。だからあっという間にホームレスに陥ってしまうのではないか。兄のココロの内は計り知れないが、もしかしたらホームレス仲間と一緒のほうがそれなりのコミュニティに参加できて、楽しかったのではないかと心配もした。

しかし、ここまで事態が進んだ以上、後戻りはできない。社会とのとっかかりを見つけること。それが兄にとって大きな課題だと思った。