スポーツの功罪

子どものころから運動好きで、それなりの運動神経が自慢だった。
しかし、大人になるとスポーツをする暇がなくなり、汗を流すなどということはなかった。

そんな私が今、バレーボールとバドミントンを週に1回ずつやっている。どちらも学生時代にやっていた競技ではなく、たまたま身近にあっただけ。

始めたきっかけは、駅の階段を駆け上ったときにすごい息切れをし、「運動不足」を実感したから。すでに結婚していたので、ママさんが始める手ごろなスポーツをイメージして、近所の小学校でやっているママさんバレーに参加した(・・・発想が貧困かも)。

しかしママさんといえども、決して円陣パスのような悠長なことはしていない。試合に勝つために真剣なのだが、これがトラブルの元なのである。ポジションの取り合いやプレイに対する容赦ない批判など、争いごとの種はいっぱいある。

加えてママさんの集団というのはいろいろな価値観をもつヒトたちの集まりなので、決して正義だけでは通用しない。社会経験の乏しいヒトやわがままなヒトなどがおり、トラブルがあっという間に大きくなるのだ。

そしてもうひとつの悩みが、ケガである。昨日は久しぶりに捻挫をし、足首が1,3倍くらいに太くなった。もう、こんなときに・・・と自分自身を責めてはみるが、じたばたしても仕方がなく、時間クスリで治すしかない。

カラダによいつもりでスポーツをしても、人間関係に悩み、ケガに泣かされる。しかし、不思議と懲りることなく、せっせと練習場所へと駆けていく。そうそう、駅の階段を駆け上っても、もう息切れはしなくなった。