気丈な大正生まれ

私の母は、在日コリアン1世で、まさに歴史に翻弄されながら生きてきた。大正14年生まれで、15歳ぐらいのときに、日本に来た。農作業があまりに辛くて、日本なら少しはマシな暮らしが送れるだろうと意気揚々だったという。
女子挺身隊として看護の手伝いもしたらしく、今でも「赤十字(病院)には爆弾は落ちない」が口癖である。

酒飲みで自己チューな夫(つまり、私の父)に相当苦労をさせられたのだが、母は根がほがらかで誰とでもすぐ話ができる人。つまり、コミュニケーション上手なのだろう。
無学のため、読み書きに不便し、趣味らしいものはないが、唯一の楽しみは小さな畑仕事(老人福祉農園)。片道30分の道のりを毎日せっせと通う。野菜づくりのうまいおじいさんがおり、その人に負けたくないという意地もあるようだ。

80すぎにしては元気だった母もこのごろ衰えが見えはじめた。よく歩くので健脚かと思っていたが、めっきり歩く姿にチカラがなくなってきた。そして先日、市バスの中でよそのおばあさんの買い物カートが脚に当たり、そのせいかどうか、腰痛を訴えたのだ。

今日、病院で診てもらったら「腰椎の圧迫骨折」という診断だった。見た目は骨太の体型だが、骨の中はスカスカで、つまり骨粗鬆症なのである。いったん押しつぶされた骨は元には戻らないが、痛みは時間とともに和らいでいく。

気丈な大正生まれは、痛みが薄らいだら、またせっせと畑通いをするだろう。
「土からたくさんの芽が出てくるのがたまらなく可愛い」というのだから。
私はこっそりと母の生活を支えるだけである。

母の生きざまについては、またの機会に綴ってみたい。